応援の歴史とエピソード

1998年(平成10) 長野 Nagano

時代背景 ユーゴスラビア・コソボで武力衝突、アメリカ他が軍事介入。
インド、パキスタンが 相次いで地下核実験、両国間の緊張が高まる。
和歌山毒入りカレー事件発生、この後全国で毒物混入事件相次ぐ。
オリンピック
ハイライト
多くの日本選手が地元の声援を受け大活躍したが、国民の関心をもっともさらったのはスキージャンプの原田雅彦。
前回リレハンメルでの屈辱の失速を2回目の大ジャンプで見事に払拭し、悲願の金メダル獲得に日本中が沸いた。
またスキー女子モーグルの里谷多英はそれまでのワールドカップの不振から見事に立ち直り、地元開催に応え金メダルを獲得。

日本選手団獲得メダル数
金:5 銀:1 銅:4
おじさんの
エピソード
長野オリンピック開催へ向けて当時の長野市長から意見を求められたオリンピックおじさんは、「日本らしいセレモニーをやるべきで、日本の国技である相撲を取り入れてみたらどうか」と提案。
長野市長はその案に共感し、さっそく人気力士達に声をかけてみたが、長野の極寒の屋外でのイベントを敬遠され、計画倒れに終わりそうだった。
そんな中、暖かい環境で生まれ育ったハワイ出身の曙関(横綱)が快く承諾してくれ、雪降る長野の寒空の下、立派な化粧廻し姿で弓取りを行った日本伝統国技のパフォーマンスは世界中から称賛を浴びた。
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