応援の歴史とエピソード

1984年(昭和59) ロサンゼルス Los Angels

時代背景 エチオピア 干ばつによる飢餓問題が表面化。
インド ガンディー首相暗殺される。
江崎グリコ社長拉致事件発生、グリコ・森永毒物混入事件へと発展。
オリンピック
ハイライト
この大会日本中の期待と注目を集めたのが男子マラソン。
4年前、「幻の代表」となった宗兄弟、瀬古利彦が再び選ばれ、直前には「日本勢でメダル独占か」とまで言われていたが、結果は宗猛の4位が最高であった。
また、柔道無差別級で山下泰裕が金メダルを獲得したが、決勝で対戦したエジプトのラシュワンは負傷している山下の右足をあえて攻めず、正々堂々戦ったということで、彼にはフェアプレー賞 が贈られた。

日本選手団獲得メダル数
金:10 銀:8 銅:14
おじさんの
エピソード
陸上競技3段跳び米国代表のウィーリーバンクスは、競技場がうるさく思っていたのか音楽を聴きながら集中しようとしていたようだった。
そのため、競技場を静かにしようと思い、笛を鳴らし、人差し指を口にあて、「静粛に!」と会場にアピールし、静止を呼びかけていた。
1回目の競技に挑んだ。
結果、ウィーリーバンクスは集中できたようで、おじさんを見つけてお礼に来た。
そのことからウィーリーバンクスにもっと頑張って欲しいと言う気持ちから、おじさん今度はバンクスの為に「笛」で応援と音頭をとり始めると、バンクスは手振りで「もっと!もっと!応援してくれ!」とアピールしてきた。
それから2回目跳躍で世界記録更新!
オリンピックの後、東京で行われた世界陸上では、各国が入場してくる中「笛」を吹いて音頭をとっているおじさんを見つけ、バンクスが列から飛び出してきた。
この再会をお互いに喜びあったことは言うまでもない。
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