オリンピックおじさんとブラジル

1800年代後半、ブラジルは農業労働者不足打開の為、海外から移民を受け入れ国土開拓を進める政策をとっていたが、過酷な労働環境により移民が反乱を起こし、ヨーロッパからの移民を中止した。

ブラジルは日本からの移民を受け入れに動き、1900年代初頭から日本人の移民が始まった。ヨーロッパ人同様、多くの日本人が小作人としての過酷な労働環境を強いられたが、その後もブラジルに留まり独自の農園を開拓していった。日本人の勤勉さと努力により、その後多様な農産物の栽培を成功させ、ブラジル経済の基盤構築に大きく貢献した。

これらの日本人開拓者の功績に対して敬意を表し、オリンピックおじさんと鉄砲洲稲荷神社(中央区)の当時の宮司とで伊勢神宮から社殿をブラジルへ移築することを考案。おじさんと宮司の懇願によって皇大神宮大宮司の許諾を得ることができ、平成5年(1993年)第61回遷宮後に外宮(豊受大神宮)別宮の「風宮」の旧社殿を譲りうけることができた。

社殿の移送にあたっては、この志の高い取り組みに共感した日本通運社が、外国船への使用料支払い以外の輸送コストを全て奉仕負担して下さり、社殿は名古屋港からサントス港へ無事移送され、ブラジルのサントス市ブラジル大神宮の本殿として復元建築された。この功績が認められ、ブラジル政府からオリンピックおじさんへ文化功労章が贈られた。

このようにブラジルと深い関わりがあるオリンピックおじさんは、日本人が礎を築いた兄弟のような国ブラジルにおいて南米初のオリンピックが開催されることを心から喜び、リオデジャネイロ五輪に対して特別な思いを寄せている。

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