1964年、38歳の時に東京オリンピックが開催された。取引先の会社がオリンピック事業に関係していた為、選手を含むオリンピック関係者との交流が始まり、初めて生でオリンピック観戦をした。しかし、この時はまだ普通の観戦者の一人だった。
1968年、「日本人」をアピールしながら応援しようと羽織袴と日の丸の旗を持参してメキシコオリンピックへ出向いた。現地でお土産用に購入したソンブレロ(南米のカウボーイや農民がかぶるつばの広い帽子)が大きく手に持てないので頭に被り、その恰好でメーンスタジアムへ陸上競技を応援しに行く。5000メートル走を選手の間近で応援していたが、選手がトラックを何周も走っているうちにどの選手がトップか分からなくなってしまった。そんな中、日本人の選手が来たと思いスタジアムの前へ出て行って応援を始めたが、選手が近づいてくるうちに日本人選手ではなくメキシコ人選手だということに気が付いた。しかし、日本人選手じゃなくてもこの晴れ舞台で競技に賭ける選手の気持ちは良く分かるので、「おーい、ランラン(走れ走れ)!」「メヒコ、メヒコ、ランラン(メキシコ、メキシコ、走れ走れ)!」って声をかけた。自分では走れ走れと呼びかけたつもりだったが、「ランラン」という言葉はメキシコでは「頑張れ」という意味で、会場の人達には、羽織袴にソンブレロ姿の日本人が「メキシコ頑張れ!」と言ってメキシコを応援しに来ているように映った。
その直後、日本人選手が会場へ入ってくると、会場中のメキシコ人がお返しに「ハポン、ハポン(ジャパン、ジャパン)!」って日本を応援してくれるようになり、日本とメキシコの逆応援合戦が続いた。そのうち会場全体に輪が広がり13万人が総立ちになって互いの国を応援し合うという思いがけない光景を目の当たりにすることになった。この些細な勘違いから13万人が総立ちになるという体験をし、応援の底知れないパワーに気づかされ、それ以来「応援」に魅了された。